唐沢の話(からさわのはなし)
大嶺 鮎釣
昔、年老いた行基(ぎょうき)という名のえらいお坊様(ぼうさま)がいました。旅のとちゅう、権現谷沢(ごんげんやざわ)というところに立ちより、そこで、四十八体の権現(ごんげん)様※1 の像(ぞう)をおほりになりました。お坊様は、白倉(しらくら)、戸倉(とくら)、鮎釣(あゆづり)の部落(ぶらく)※2 の人々に、ほったばかりの権現様を指さして、
「三つの部落で、なかよく十六体ずつ分けてまつってくれ。」
と言いました。
まず、戸倉の人が、次に鮎釣の人が、最後に白倉の人が権現様を持っていきました。
「おや、へんだぞ。十五体しかない。」
と、白倉の人々が声をあげました。
「たった今、持っていった鮎釣の者が、一つよぶんに持って行ったにちがいない。」
「これはたいへんだ。まごまごしていると、わしらの分も鮎釣りにまつられてしまうぞ。まつられてからでは、もうおそい。さあ、早く鮎釣の人を追いかけろ。」
と言って、白倉の人々は、必死になって、鮎釣の人々を追いかけました。実は、戸倉の人々がまちがえてよぶんに持って行ってしまったのです。
しかし、おかしなもので、別に悪いことをしていなくても、追いかけられると、ついにげたくなるものです。
鮎釣の人々は、分けもわからずに必死ににげて行きました。今の唐沢のあたりで、白倉の人々は追いつきそうになりました。
「まて、にげるな。」
と、鮎釣の人々にとびかかろうとしました。
「沢をわたれ、沢をわたれ。」
鮎釣の人々は、命からがら沢をわたり、白倉の人々からのがれることができました。
命からがらわたった沢だから、それ以来、鮎釣の人々は、「命からがら沢」とこの沢をよび、いつのころからか、ちぢまって、「からさわ」というようになりました。
十六体の権現様は、十六社権現といって、今もずっとおまつりをしています。
※1 ほどけさまが、日本の神にすがたをかえてあらわれること
※2 今でいう地区