にょうらひめ
瀬尻 大庭
大庭からかなり登りつめた山の中に、「じょうのこし」というところがあります。
その昔、西村氏のご先祖のおじいさんがそこに山小屋を作り、一人で山仕事をしていたそうです。
秋もすっかり深まり、雪が来ぬうちに冬の間に使うたきぎを集めて、ふもとの村まで運ばなければなりません。おじいさんは、朝まだ暗いうちから夕方とっぷり日がくれるまで、毎日毎日、せっせとたきぎを集めていました。
ひゅうひゅうと北風がふき始めたある夜のことです。
いろりには新しいたきぎがくべられ、ちろちろともえるほのおが部屋の中を明るくてらしています。
そまつな山小屋とはいえ、今しがた食べたばかりのぞうすい※1でおなかがいっぱいになったおじいさんは、うとうとしてしまいました。
一刻※2もすぎたでしょうか。とんとん、とんとんと表の戸をたたく音が聞こえてきました。おじいさんは目を覚まし、
「こんな夜ふけに客でもあるまい。きつねかたぬきのいたずらだろう。」
と、また横になりかけました。
その時です。
「ここをお開けくださいまし。」
という声が聞こえるではありませんか。
おじいさんがそっと戸を開けてやると、そこには美しいむすめが一人立っていたのです。
「道にまよってこまっております。どうぞ火にあたらせてくださいませ。」
むすめは寒さにふるえてやっとこれだけ言うと、その場にうずくまってしまいました。
「こんな夜ふけに山の中をむすめ一人で⋯⋯。」
とおじいさんはふしぎに思いましたが、むすめがあまりにもかわいそうだったので、
「それは、それは。大変でしたね。どうぞ、どうぞ。さあ、おあがりなされ。」
と家の中にまねき入れて、ろばたの席をすすめました。
「のこり物だが、ぞうすいをめし上がれ。」
と、いろりであたためたぞうすいを食べさせてあげました。
「ごちそうさまでした。おかげで体もすっかりあたたまりました。お礼にめずらしいものをお見せいたしとうございます。」
むすめはひょうたんを取り出すと、むねの前でひとふりしました。すると、ひょうたんの中から豆つぶほどの人形がぞろぞろ出てくるではありませんか。それは刀ややりを持った小さな人形たちでした。
「今から関ヶ原の戦い※3の様子をお見せいたしましょう。」
むすめは人形をろばたにならべると、歌うように説明を始めました。
「慶長※4五年九月十五日、石田三成を大将とする西軍八万は、岐阜城※5をせめて、近江(今の滋賀県の一部)にすすもうとする徳川家康を大将とする東軍十万を、近江、伊勢(今の三重県の一部)に続く関ヶ原でむかえうったそうな。」
むすめがこう言うと、ならべられた人形たちは東軍と西軍に分かれて戦いを始めたのです。人形たちは、むすめの言うままにあやつられて動くのでした。
おじいさんは、時のたつのもわすれて、その人形たちの動きに見入っていました。
戦いが終わると、人形たちはまたもとのひょうたんの中へぞろりぞろりともどってしまい、むすめの説明もそこで終わってしまいました。
「これはふしぎなものを見せてもらったわい。ところでむすめさんや。おまえ様は一体どなた様でございますか。」
「私はにょうらひめともうすものでございます。こよいのことはだれにも話さないでくださいまし。」
そういってむすめはしせいを正し、何度もお礼の言葉を言いました。そしてすっと立ち上がると、山小屋の外へ出ていってしまいました。
おじいさんは、ゆめでも見たかとほほをたたいてみましたが、夢ではないようです。おじいさんはこわくなってねむれない一夜を明かしました。
東の空が、うっすらと明るくなりかけるのをまって、おじいさんはすっとんで山を下りました。家に帰ったものの、どうもそわそわ落ち着きません。ふしぎに思った家の人たちが、どうしたのかとたずねても、おじいさんはただ首をふって、
「いや。なんでもないのだ。」
と言うばかり。さく夜のことを話したくても話せなくてなやんでいたのです。
しかし、ひみつ、ひみつと思っていると、だんだん話したくなってくるものです。おじいさんも人の子、あるばん、ついにおばあさんに、あの夜の不思議なできごとをすっかり話してしまいました。にょうらひめとのやくそくよりも、だれかに話してしまって楽になりたいという気持ちが勝ってしまったのです。
それからです。おじいさんは体の調子が悪くなり、病気がちになったのは⋯⋯。
日に日に病は重くなり、ついにはとこにふして起き上がれないようになってしまいした。やくそくをやぶられたにょうらひめのいかりにふれたのでしょうか。
今でもその山小屋のあったというあたりを、にょうらひめとよんでいる人がいます。
※1野さいなどを入れてやわらかくにたおかゆ。
※2三〇分くらい。
※3一六〇〇年に全国の大名をまきこんで起こった天下分け目の戦い。
※4一五九六年から一六一五年。
※5岐阜県岐阜市にある山城。