青谷の歌具楽(あおやのかぐら)
瀬尻 青谷
明治のはじめごろまで、瀬尻は、自然のまま生えている木に囲まれた、静かなところでした。
住んでいる人々は、山の木を切りたおし、そこをたがやして畑を作り、作物を育てていました。
この時代は、これといった楽しみもなく、若い人たちはたいくつしていました。
そこで、村の人たちは、ししょう(教える人)をたのんで若い人たちに、歌具楽※1を教えてもらったらどうかと考えました。
それから、若い人たちは、一日の仕事が終わると、毎ばん集まってけい古をすることになりました。
そして、むずかしい歌具楽をすっかり覚えてしまいました。
若い人たちが、けい古した歌具楽は、青谷歌具楽と呼ばれました。お祭りや豊作の年の秋祭り、お清めの時などに、村の中や近くの村からたのまれ、神楽を舞いました。
歌具楽に使う小道具※2を入れた長持ち※3の上には、天のうずめのみこと※4をまつったお宮をのせ、道中の安全や作物がよくできることをいのりました。
天のうずめのみことをまつったお宮は、大変りっぱなもので、百日かかって作られたそうです。このお宮は、青谷の公民館にまつられています。中には、今は観音様がおまつりしてあります。また、青谷の公民館の庭には、子安地蔵尊※5がまつられています。
昔は、子どもをうむための病院もなく、助産婦※6さんもいませんでした。子安地蔵尊には、安産をいのる人々が、お参りに来たそうです。そして、ここへの初参り※7の習かんは近年までありました。また、安産と子供の成長をいのった人々の手によって、地蔵尊には、頭きんやよだれかけが、かけられました。
※1神をまつるときにえんそうしたり、おどりをおどったりする。
※2やくよけ 悪いことが起きたり、病気にならないようにすること。
※3神楽に必要ないろいろな道具
※4ふたのある直方体の大きな箱。
※5天の岩戸で歌具楽をまった神様。
※6出産を助ける仕事をする女の人。
※7子どもが産まれて最初のお参り。